小通鹿踊りについて

小通(こがよう)鹿踊りの由来


小通・聖徳太子堂にて
小通・聖徳太子堂にて

 伝授書によると、気仙郡日頃市村小通(こがよう:現大船渡市日頃市町)の松右衛門が嘉永5年に東磐井郡大原村山口(現一関市大東町)の喜平・喜三郎という2人の師匠から伝授されたのが始まりと伝えられる。

 しかし、口伝によると貞享(じょうきょう)年間(1684~1688)に宮城県本吉郡入谷村(現南三陸町)の善九郎が日頃市の金山で働き、その合間を縫って小通の有志に伝えられたとの言い伝えがある。その後に小通では何度も鹿踊りが途絶えかけ石巻地方から師匠を呼び習いうけた、また大原から習いなおしたことで小通鹿踊りが中興したとの言い伝えもある。

 少なくとも、伝授書は定かで、山口派に分類される行山流鹿踊りと言える。

庭元は初代松右衛門の子孫に当たる鈴木家が行っている。 

鹿頭の年号をみれば、大原から伝授される前から鹿踊りが当地区に伝授されていたのは間違いない。